弁護士 小倉 秀夫
特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害された者が当該特定電気通信の発信者に関する発信者情報の開示を受けるためには、少なくとも、「当該開示の請求に係る侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかである」ことが必要です。
そして、多数説は、「当該開示の請求に係る侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかである」といえるためには、開示請求者の権利が侵害されたことが明らかであるだけでは足りず、違法性阻却事由の存在を窺わせる事情がないことまで必要とします。
自己の社会的評価を低下させるような事実または意見・論評が公衆に向けて流通された場合、その名誉権は侵害されます。ただし、名誉権侵害が事実の流通によってなされた場合には、① 当該事実が公共の利害に関するものであり、② 当該事実を公衆に向けて流通させた者が、専ら公益目的で、当該事実を公衆に流布し、③ 当該事実を公衆に向けて流通させた者が、当該事実がその重要な部分において真実であることを証明したときは、違法性が阻却されるものとされます。名誉権侵害が意見・論評の流通によってなされた場合には、① 当該意見・論評が公共の利害に関するものであり、② 当該意見・論評を公衆に向けて流通させた者が、専ら公益目的で、当該意見。論評を公衆に流布し、③ 当該意見・論評を公衆に向けて流通させた者が、その意見・論評の前提となる事実がその重要な部分において真実であることを証明したときは、違法性が阻却されるものとされます。
では、特定電気通信による情報の流通により自己の名誉権を侵害された者において、違法性阻却事由の存在を窺わせる事情がない状態とはどのような状態を指すのでしょうか。
摘示事実ないし前提事実(以下、「摘示事実等」と言います。)が真実ではないことを立証を求めればいいではないかとの見解があります。発信者情報開示請求を受ける開示関係役務提供者側は大体そういう主張をします。しかし、これには以下の問題があります。
① 摘示事実等の具体性が乏しく、反証可能性が低い場合に、事実上発信者情報開示請求が受けられなくなってしまう。
例えば、当該特定電気通信において、いつ、どこで、誰が、誰に対し、何をしたということが具体的に述べられていなかった場合、それが真実でないということを立証することは困難です。例えば、特定の人の名前を挙げた上で、「●●は強姦魔だ」という投稿がなされた場合に、名前を挙げられた人物において、自己が強姦をしてこなかったことを立証することはほぼ不可能です。また、特定の人の名前を挙げた上で、「私は、●●にセクハラされました」という投稿がなされた場合、名前を挙げられた人物において、自分が同僚ないし部下に対してセクハラを行ったことがないことを立証するのはほぼ不可能です。「いつ、どこで」ということが特定されていれば、そのときそこにはいなかったというアリバイ立証することができたり、あるいは、そのときその場にいた同僚から「そんなことはなかった」という内容の陳述書を作成してもらうことも可能ですが、「いつ、どこで」ということが特定されていなければ、そのようなことは困難です。
② 真偽不明となることが明らかな場合に、事実上発信者情報開示請求が受けられなくなってしまう。
例えば、特定の人の名前を挙げた上で、「●●こそが、3億円事件の真犯人だ」という投稿がなされた場合、●●が三億円事件の真犯人であることを当該投稿を行った人物が証明することも困難ですが、三億円事件当時被疑者とされる人物と同様の年格好をしていた人物にとって、自分が三億円事件の真犯人ではないことを立証することも困難です。そこまで希な例ではなくとも、特定の人の名前を挙げた上で、「私は、●年●月●日●時●分ころに、●●線で、●●さんに痴漢されました」との投稿がなされた場合に、その時間帯にその路線を使うことが多い人物にとって、自分が車内で痴漢をしていなかったことを立証するのは困難です(他方、現行犯逮捕されるか、または映像が残っていない限り、上記人物が痴漢をしていたことを証明するのも困難です。)。
上記①については、これを救済する下級審裁判例があります。
東京高判令和2年11月11日判タ1481号64頁は、「被控訴人提出の上記回答書に表れた発信者の記載内容は自己の体験を述べた形式で一応の具体性はあるものの、抽象的な事実にとどまり、日時や人物の特定もないことから、控訴人において反論をすることができる内容となっていない。法4条1項が、発信者の匿名性を維持し、発信者自身の手続参加が認められていない手続法の枠組みの中で、発信者の有するプライバシー権や表現の自由等の権利ないし利益と権利を侵害されたとする者の権利回復の利益をどのように調整するかという観点から、前記のとおり権利侵害の明白性の要件が設けられ、違法性阻却事由の存在をうかがわせる事情がないことが必要であるとされていることからすれば、上記の回答書(乙1、2)の提出があったことをもって、本件投稿に摘示された事実が真実であることをうかがわせるような事情があるということはできない。立証責任を転換したことによって、上記回答書に応じて事実の不存在まで厳密な立証を求めると、本来、被害者と発信者との間で争われるべき事項について、発信者からの日時、場所等の特定がなく、抽象的な事実に止まる、中途半端な上記回答書に対して、およそそのような事実はないという不可能に近い立証を強いることになり、相当でないからである」と判示しています。すなわち、開示関係役務提供者から発信者に対し意見照会を行い、その回答を見ても、摘示事実について、日時、場所等の特定がなく、抽象的な事実に留まる場合には、およそそのような事実はないという立証を開示請求側でしなくとも、違法性阻却事由の存在を窺わせる事情はないとするのです。
これはこれで1つの見識なのですが、ただ、この手法で対応できるのは上記①の場合だけであり、上記②には対応できません。
よくよく考えてみると、名誉権を侵害しても違法性が阻却されるのは、摘示事実等が真実である場合ではなく、情報流通者において摘示事実等が真実であると証明した場合です。そうである以上、摘示事実等が真実かどうかが分からない場合であっても、情報流通者において摘示事実等が真実であることを立証する見込みが立たないことが分かっているのであれば、違法性阻却事由の存在を窺わせる事情がないといえるのではないかと思います。
上記①についていえば、情報流通者において、反証が可能な程度に摘示事実等を具体化できなければ、摘示事実等が真実であることを立証することはできません。情報流通者において、摘示事実等が真実であることに太鼓判を押す陳述書を提出したとしても、摘示事実が抽象的なものに留まる限り、それが真実であると裁判所が認定することはありません。
また、上記②についても、開示関係役務提供者からの照会に応じて情報流通者が開示関係役務提供者に提出した資料の中に、摘示事実等の真実性を裏付ける客観的なものが十分にない場合には、情報流通者が被告となったときに、摘示事実等を真実だと証明することは困難です。このような場合、「違法性が阻却される=摘示事実の真実性を証明するに足りる証拠を情報流通者が持っている」ことを窺わせる事情がないと言えると思います。
このような見解に対しては、発信者に対し、開示関係役務提供者からの照会に応じて証拠等を提出する義務を負わせるものであって適切ではないという反論が、開示関係役務提供者からなされます。しかし、特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律第5条第1項は、「開示関係役務提供者は、前条第一項又は第二項の規定による開示の請求を受けたときは、当該開示の請求に係る侵害情報の発信者と連絡することができない場合その他特別の事情がある場合を除き、当該開示の請求に応じるかどうかについて当該発信者の意見(当該開示の請求に応じるべきでない旨の意見である場合には、その理由を含む。)を聴かなければならない。」と規定しており、「当該開示の請求に応じるべきでない」とする理由についても照会する義務をい開示関係役務提供者に負わせています。(当該開示の請求の応じてほしくない」とする理由ではなく)「当該開示の請求に応じるべきでない」とする理由とは、① そもそも権利侵害にあたらないとする理由、または、② 違法性阻却事由が存するとする理由ですから、違法性阻却事由が存するとする根拠を発信者側で示さなかったのであれば、その不利益は発信者が負うべきです。